【実録】スポーツエリートから借金200万・うつ病へ。僕がどん底に落ちてから工場で復活するまでの8年間

「お前なんか、どこに行っても通用しない」

「次ミスしたら分かってるな?」

体重100kgを超える上司からの強烈なボディブロー。みぞおちをえぐる衝撃で床に崩れ落ちる僕を、周囲はただ怯えた目で見つめていました。

はじめまして、工場テンショクくんです。今年で39歳、現在は自動車関連の工場で働いて8年目になります。

今の生活はとても穏やかで、真面目に働けば正当に評価され、人間関係のドロドロもなく、安全な毎日を送っています。

しかし、ここに至るまでの道は、まさに地獄そのものでした。

高校時代にあるスポーツで「高校日本一」という栄光から一転、待っていたのはブラック企業での暴力、200万円の借金、うつ病の発症、そしてADHD(注意欠如・多動症)の診断……。一時は1年半も引きこもり、人生の完全に詰みかけていました。

これは、32歳で職歴ボロボロ・どん底だった僕が、世間から「底辺」と揶揄されることもある「工場勤務」によって人生を一転させた、8年間のリアルな記録です。

1. 栄光からの急降下:スポーツ日本一、そして最初の挫折

僕の人生の最初のピークは、20代前半にありました。

幼少期から進学校に通い、あるスポーツに全てを捧げていた僕は、「高校日本一」の称号を手にしました。その実績を引っ提げ、スポーツ推薦で大学に進学。当時はプライドも高く、「自分は何でもできる」「輝かしい未来しか待っていない」と本気で信じていました。ほんとに天狗になっていました。

しかし、人生はそう甘くありません。スポーツしかやってなくて勉強なんてしない、授業にも行かない、という最悪のムーブをして大学を4年通ったあげく中退。

今思えば、完全に「スポーツしか知らない人間」になっていたのだと思います。

競技を引退し、23歳の頃、同スポーツのインストラクターとしてある企業に就職しました。これが、僕の人生を狂わせる最初の歯車でした。

2. 地獄の1社目:100kg超え上司の暴力と「恐怖支配」の4年間

入社した会社は、想像を絶する「超絶ブラック企業」でした。

① 別室でのボディブロー

上司は体重100kgを超えるパワー系の怪物。売上目標の未達や、些細なミスがあるとすぐに激しい詰めが始まります。僕の表情が少しでも気に入らないと、別室へと連れ去られました。

待っていたのは、言葉の暴力だけではありません。体が吹き飛ぶレベルの強烈なボディブローを何度も叩き込まれました。痛みの恐怖で、まともな思考は完全に奪われました。

② 毎日の“儀式”:全員の前での公開叱責

僕だけじゃなく定時になると事務所にスタッフ全員が集められ、見せしめのように目標未達の誰かが「爆詰め」されるのがルーティンでした。

「次は自分かもしれない」

そんな恐怖を植え付けることで、従順な兵隊を作る。まさに恐怖による洗脳支配でした。

③ 「どこに行っても通用しない」という呪い

4年間耐え続け、心身の限界を迎えた僕は、勇気を振り絞って退職を申し出ました。その時、所長に別室へ呼び出され、2時間にわたって浴びせられた言葉がこれです。

「お前みたいな使えない奴、うちを辞めたらどこに行っても通用しないぞ」

当時は「そうなのかもしれない」と絶望しましたが、今なら断言できます。

殴られる職場、人間性を否定してくる職場からは、今すぐ全力で逃げていい。

あなたが輝ける場所は、世界のどこかに必ずあります。

3. 迷走、そしてどん底へ:借金200万とうつ病・ADHDの診断

命からがらブラック企業を抜け出したものの、僕の心は壊れていました。

退職後も当時のことを思い出すと体が動かなくなる「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」のような状態に苦しめられました。

その後、「スーツを着るホワイトカラーこそ正義」という世間の見栄に囚われ、未経験で総合商社へ転職しました。

しかし、前職のトラウマと焦り、そして業界未経験の仕事で完全に空回りしました。

スポーツしかやってこなかった僕に、営業やビジネススキルはありません。完全に戦力外。そして過去の栄光からプライドだけは高かった僕には仕事に食らいつく気概もありませんでした。

結果、1年で退職しました。

プレッシャーと将来への不安から、僕は一発逆転を狙ってFX(外国為替証拠金取引)に手を出します。これが致命傷となりました。

知識もないまま最初大勝ちした結果、のめり込み気づけば負け続け消費者金融に借金、その額は200万円超

常にお金のことが頭から離れず、重なる挫折。僕のメンタルは限界を迎え、「うつ病」を発症しました。

同時に、総合商社で当時上司だった方から発達障害の診断を提案され、働きながらずっと違和感があった僕は病院へ。

検査で「ADHD(注意欠如・多動症)」であることも発覚したのです。

「人生詰んだ」

そう思いました。

それから1年半の間、傷病手当金を貰いながら、ただただ、ゲームや読書をして過ごす引きこもり生活が始まりました。

正直に言うと、この頃は未来なんて全く見えていなかったし、でも「◯ぬ」勇気もありませんでした。

4. 空回りした復活劇:資格(スキル)があっても環境が合わなければ潰れる

引きこもり生活の中、僕は「このままでは本当に終わる」という恐怖から、必死に自分を奮い立たせました。

自己肯定感を少しでも取り戻すため、猛勉強を開始。

3ヶ月間勉強した結果、初めて国家資格である「宅地建物取引士(宅建)」に一発合格しました。

「よし、まだやれる!」

自信を取り戻した僕は、31歳で不動産会社に入社しました。

しかし、現実は非情でした。

ADHDの特性(マルチタスクの苦手さ、不注意など)を持つ僕にとって、常に電話が鳴り響き、複数の顧客を抱え、数字のノルマに追われる不動産業界の環境は、相性が最悪だったのです。

毎日パニックになり、ミスを連発。結局、環境に全く馴染めず、わずか3ヶ月で夜逃げ同然で退職することになりました。

この時、僕は人生の重要な真理を学びました。

どんなに強い武器(資格やスキル)を持っていても、戦う戦場(環境)が合っていなければ、人は簡単に潰れる」ということです。

5. 32歳、工場勤務との運命的な出会い。人生が「お金に追われない」安心感

32歳。職歴はボロボロ、200万円の借金は減らないまま、傷病手当のお金も無くなる、まさに崖っぷちでした。

そんな僕が最後にネットで偶然見つけたのが「寮費無料・未経験歓迎」の文字。自動車関連の工場勤務でした。

「もう見栄なんて言ってられない。とにかく生きるために働くしかない」

そう覚悟を決めて入った自動車工場の現場。そこで待っていたのは、「奇跡的なマッチング」でした。

① 人間関係がシンプルでストレス激減

自動車工場で大切なことは「決められた手順通りに、安全に作業を進めること」です。

営業職のように客の顔色を伺う必要もなければ、上司への過度な忖度も不要。

職人気質な人はいても、理不尽に殴られることも、全員の前で吊るし上げられることもありません。人間関係のストレスが、これまでの職場の10分の1以下になりました。

② ADHDの特性が「強み」に変わる

マルチタスクが苦手な僕にとって、ひとつの作業に集中できる工場のルーティンワークは、むしろ好都合でした。

手順をきっちり守る」という真面目さを評価され、ミスなくこなすことで周囲からの信頼も厚くなっていきました。

③ 圧倒的な福利厚生で、借金200万円を完済!

「寮費無料」は本当に凄いです。期間工時代は毎月の固定費(家賃・食費)がほぼゼロ。

手厚い夜勤手当やサービス残業なんて絶対にない。

入社して2年、僕は200万円あった借金を完全に完済することができました。

6. まとめ:同じ人間でも「環境」を変えるだけで大化けする

「工場勤務なんて底辺の仕事だ」と笑う人がいるかもしれません。

でも、手取り20万そこそこで、サビ残とノルマに追われ、上司の機嫌を取りながら心をすり減らす都会のオフィスワークと、

作業着を着て淡々と仕事をこなし、残業代をしっかり貰い、格安の寮に住んで、一歩工場の外に出れば仕事のことを100%忘れて趣味を楽しめる生活。

どちらが本当に幸せでしょうか?

僕は今、自動車工場に籍を置いて8年目になります。当時の社員寮ではありませんが、家賃補助のお陰でかなり楽に暮らせています。

地道な頑張りが認められ、正社員となり現在は役職付き一歩手前のポジションまできました。人によってはそんな程度かよと思うかもしれませんが、これは僕の今までの人生から考えると大きな進歩です。

僕の20代後半は、客観的に見れば「終わっている」状態でした。

でも32歳、職歴ボロボロからでも、自分に合う「環境」にたった1箇所ハマるだけで、人生はいくらでも立て直せる

もしあなたが今、「今の仕事が辛くて死にそう」「自分は何をやってもダメだ」と絶望しているなら、どうか自分自身を責めないでください。

あなたはダメじゃない。ただ、「今の戦場があなたに合っていないだけ」です。

世間の見栄を捨て、一歩踏み出した先には、想像以上に優しくて安定した「逆転のステージ」が待っています。

でもそれを掴むのはあなた次第でもあります。

僕の経験が、今苦しんでいるあなたの救いになれば、幸いです。

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工場勤務8年目の僕が、各サイトの「ガチの強みと弱み」を本音で比較しました

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